
遺言
原発さえなければ
〜福島の3年間 消せない記憶の物語〜
2014年公開作品
グリーンイメージ国際環境映像祭大賞受賞
江古田映画祭グランプリ受賞
山形国際ドキュメンタリー映画祭正式出品作品
【共同監督】豊田直巳/野田雅也 【編集】 安岡卓治
【製作】映画『遺言』プロジェクト
2013年/ 225分/ HD/ 16:9/ カラー/ 日本/ ドキュメンタリー

福島を描いたドキュメンタリー映画の決定版
3時間45分−800日間の記録
2011年3月12日…福島第一原発事故の取材現場に駆けつけた二人のフォトジャーナリストは、いち早く撮影を開始。以来、2013年4月まで、その土地の人々とともに過ごした日々を記録し続けた。絶望の淵からの試行錯誤、もがきの中で気づいた家族、仲間、奪われた故郷への思い、そして見えてきた本当に守るべきものの存在… 3年にわたり記録された250時間の映像が、3.11後の今を生きる私たちに問いかけるものとは ―――

一章 汚染
事故から2週間後、調査に入った今中哲二助教は、原発から30キロも離れた飯舘村が強い放射能に汚染されてしまったことを知り、村に報告する。しかし、原発事故の実態を知らされていない住民は、村の中に残されていた。しかも、出荷停止を命ぜられた酪農家は絞った牛乳を捨て、農家は野菜を刈り落としながら。そして、村全体の汚染が明らかになっていく。

二章 決断
飯舘村が「計画的避難地区」に指定され、村人全員の退去が決まった。牛を連れて避難ができない酪農家たちは苦悩を深めた。避難は廃業を意味するからだ。それは酪農家として生きてきた人生に、自ら幕を引くことになる。それでも子や孫、そして人の命とひきかえにはできない。長谷川健一たち酪農家は、苦渋に満ちた決断をする。そして村から牛の鳴き声が消えた。

三章 避難
初夏。風景は原発事故前と変わらない。しかし、目に見えない放射能は村人を追い立てた。住民の避難が始まったのだ。酪農家仲間たちも空になった牛舎を後に残し、福島市内へ、山形へ、そして遠く横浜へと離散していった。しかも家族はバラバラにされて。人びとはあらためて原発事故によって失ったものの大きさを知る。
